ルッキズム

ルッキズム。外見主義。2020年6月現在、よく聞くようになった単語です。

今回は、このルッキズムについて考えてみます。

ルッキズムって何だろう?

さて、ルッキズムについて語る前に、そもそもルッキズムとは何ぞやから書きます。

ルッキズム - Wikipedia

ウィキペディアによると、ルッキズムとは「身体的に魅力的でないと考えられる人々に対する差別的取り扱いのこと」だそうです。

これを定義として、考えていきます。

身体に障害のある方、肌、顔の容姿、身長、体形など、様々な外見的要素がルッキズムの対象になります。

 

ルッキズムって最近の話?

ルッキズムは、その概念の認知具合を除けば、昔から存在していました。そして、私たちのほとんどはルッキズムを(意識的にしろ無意識的にしろ)受け入れてかつ自らも持ちながら生きてきた、と言っても間違いではないでしょう。

履歴書に顔写真は必須だし、漫画の主人公やヒーロー、芸能人は容姿端麗だし、ステレオタイプな悪役は容姿端麗とは真逆だし。「これまでルッキズムはなかった」と言う方がおかしいわけです。

ではまず、ここ最近で炎上した・話題になったルッキズムと結びつけられた案件を具体的に書き出しましたので、ご覧ください。

多い、燃えすぎている。しかし、上記で列挙したような案件は昔からあったので、要はルッキズム問題がここ最近顕著に取り上げられるようになった、ということだと思います。ルッキズムという用語は、1970年代から使われだしたとのこと。

 

次に、この二つのCMをご覧ください。


ALFACE(オルフェス )CMチャンス篇


ALFACE(オルフェス)CMピンチ篇

 

ストレートなルッキズムだと思います。

そして、実は、このCMを見て「これがルッキズムか、なるほど」や「分かるなぁ」と思った場合、あなたもルッキズムを持っています。

 

ルッキズムを考えるには?

ここで、青識亜論さんのこのツイートを引用します。

 学力テストがあること自体は悪ではないが、「馬鹿」と公然と罵ることはよくない

これ、どういうことかというと、「順位付けをすることは悪くないし上位の人を評価するのは良いが、順位が下の人を揶揄するのは良くないよ」と言っているんですね。

それに対し、nekojitaさんは以下のように応対。

プラスの評価とマイナスの評価を切り分ける事は難しく、かつ誰かに公然とプラスの評価を下すことは、同時に他の人に公然とマイナスの評価を下すことになる

そもそも評価すること自体が良くないのではないか、との指摘。

 

先述の通り、私たちは外見で判断して生きてきました。

それは、どこかで一度は聞いたことがある「人は見た目が9割」とあるように、視覚情報を頼りに生活しているからです。

「モデルと大学生が、就活面接でどれだけ合格を貰ったか」を比べる趣旨のテレビ番組のフリップを、どこかで一度は目にしたことがあると思います。

なければ検索してください。「モデル 大学生 採用」です。

www.google.com

 

目に見えるものを選んで生きていく。そうすると、どうしても「見た目の良しあし」で考えてしまいます。

そう、ルッキズムの問題を考えるときに、まず「見た目の良しあしで判断してしまうことは人間の本能である」、ということを前提にしなければいけません。

もちろん、「見た目の良しあしで判断すること」がいいとは言っていません。ただ、それは紛れもない事実である、ということを避けては通れないのです。

言うなれば、ルッキズムは「公然と許されてきた差別」なのです。

まずは「人間は見た目の良しあしで判断してしまうのだ」ということを認めて、その次のステップである「見た目の良しあしで判断しないようにする」という段階を踏まないと、ルッキズム問題は議論が進まないのです。

 

「外見は内面の一番外側」という言葉がありますが、これは、外見の良さから来る周りの態度や、成功体験の多さによる自信によって、内面が変化することを逆に言ったものです。ゴリゴリのルッキズムですね。

 

https://twitter.com/EJBWQ/status/805304659829137408

心理学の授業で「心理学的に女性は周囲の異性の中で『してくれた嬉しかった事』が一番多い人を好きになる」 教室がオオーッて感心したけど、続けて「イケメンの場合は一緒にいるだけで嬉しく感じるから自動的に”嬉しいポイント”が溜まっていくのです」って教授が言った途端教室がアアーッてなった。

 

ルッキズムは何が問題?

まずは、「見た目の良しあしによって、差別を受ける」こと自体が問題です。

したいことができない、悪口を言われる、明らかに態度が異なる。

また、「自分の力ではどうしようもない」ことも問題です。

後は、「本能的に人間の根底の部分にある差別」であることも言えるでしょうか。

他には、「見た目の良しあしは、客観的に明確な区別・線引きができないため、ルッキズムで差別しているという根拠が出てきにくい」こともあるでしょうか。

 

 

じゃあ結局どうすればいいの?

これです。これが、恐らく誰も答えを出せていないところなんです。

様々な差別においてもどうすればいいのかは答えが出ていないでしょうし、多くの差別においては「差別をしてはいけません」で現在は落ち着いているでしょう。

 

ただ、ルッキズムの概念を知らない人たちは、これまで同様ゴリゴリのルッキズムを持っています。その人たちと、ルッキズムの概念を知ってルッキズムをやめようとする人との間で、衝突が生まれます。

これはルッキズムが広く知れ渡るまでは避けられない衝突でしょう。人間、知らないことは知らないのです。

なので、ルッキズム問題を考えるには、まずはルッキズムが広く知られることが目標だと思われます。

 

これまでに経験してきたルッキズム受け入れ期の方が長いためルッキズムに否定的になりづらい、という人もいれば、ルッキズムは悪いものではないという考え方もあり、なかなか浸透するのは難しそうです。

 

とは言ってもルッキズムは簡単にはなくならない

 

 

ルッキズムは人間の本能的なものであり、なくすことはできないでしょう。

しかし、ルッキズムを良くないものだと考えて、人を見た目で判断しそうになったときに踏みとどまって、冷静に考えられるようになりたいです。